不完全なぷんぷんのブログ

何事も中途半端で飽き性なぷんぷんの、等身大のブログ。

是非是非(*´Д`)⇒

いい人生だったと言うために大事なのは周りの誰かではない

 

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いい人生だったと言えるようになるのに
周りに何をしてもらったかは
重要ではない。

 

お正月に里帰りをして、
祖父母に会ったのだが
まだまだ元気ではあるものの
シワも増えて、いつのまにこんなに小さくなったのかな??と思うことも増えた。

 

節々が痛かったり、単語が思い出せなかったり…


人は時間には逆らえないのか…となんだかセンチメンタルな気持ちになる。

 

わたしは子供の頃、祖父母と同居をしていたので、
怒られたり、出掛けたり
毎日ご飯をお母さんがわりに作ってくれたりと言い表せないほど思い出がたくさんある。

 

そろそろ、天国からのお迎えが来るかも、、、と本人たちがいうので
いつも、『もしそうなったら…』と考えて見るが


悲しくて想像するのもつらい…

 

でも、やっぱりそれは人間である以上
避けては通れない道で


そうなったら、お金とか何を持ってるとか、どんな見た目とか


そういうことは一切関係なく、この世からいなくなってしまう。

 

その後に残るのは
わたしたちの心の中で、その人と過ごした日々や、残したものである。

 

そう考えると、物質やお金にとらわれるのも、眠いから寝ようとだらける時間も
ものすごく無駄に感じる。

 

誰かに何かをしてあげたり、
それこそ、自分がいなくなると悲しんでくれる人に囲まれることこそが
結局1番大事なのだ。

 

 

祖父母を見ていると
長年2人で連れ添ってきて
喧嘩もしょっちゅうしているが、あなたとわたしでよかった。


幸せな人生だったね。といつも言い合っていて
憧れてしまう。

 

そう言えるまでには、やっぱり努力をしっかりして、2人で築いた家族や絆、思い出が山のようにあるのだろう。

 

 

2人とも、お互いに何をしてもらったとかそういうことではなくて
子供たちも大きくなって、孫ができて、ひ孫ができて
自分たちの役目が終わり幸せだな…と言っていた。

 

 

結局、相手に何かしてもらったとかそういうことは
幸せになる大きな要因ではないのだ。

 

 

結局は、自分自身が、その人生に納得出来たかどうか。
納得できるかは、しっかりと頑張れたかどうか。


それが重要だ。、

 

側から見ると
今までなんの苦労もなく生活してきても、まだまだ幸せじゃない。という人もいれば

 

側から見ると
大変だな、苦労してるな…と思えるのに幸せだ、楽しい。という人もいる。

 

結局は価値観なのだけれど
周りの人に多くを与えられる人はそれだけいい顔をしてるし
幸せだと言う人が多いことに気付いた。

 

 

旦那の愚痴や不満は溜まるし
彼も努力をそれ相応にするべきだが
お互いが、相手が何を自分にしてくれるかばかりに囚われていては
人生は幸せとはいえない。

 

自分が、後悔しないように
相手を変えることを目標にするのではなく
自分自身の考え方や行動を変えられる
2020年はそんな年にしたい。