不完全なぷんぷんのブログ

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痛みや罰で子供にルールを守らせるデメリット

痛みや罰で子供にルールを守らせるデメリット

実家に帰ると、80%くらいの割合でされる話がある。

「なぜか急に参観日に学校へ行くのを嫌がって、祖母と母親で私を叩きまくって行かせた」

というもの。

 

以前は違和感なくそれを聞いて

「自分がへそ曲がりだから、なんだか嫌だったんだろうな。」

という程度に聞いていたんだけど、最近それに異様に違和感を抱くようになった話。

 

違和感を感じるポイント

なぜ嫌がったのか理由がない事

何度も、同じような話を聞いていて

私自身は叩かれた記憶も曖昧で

もう自分がなぜ嫌がっていたのか記憶にないのだけれど

母親と祖母の話でも嫌がっていた理由がわからないという。

 

今の自分に置き換えた時に

まずは息子が保育園に行くのを突然嫌がったら

「行きたくない理由」を問うはずなのだ。

 

そこで抱いたのは

子供の気持ちに寄り添うのではなく、なんとしてでも

「参観日に行かなければならない」と思っていた祖母と母親の気持ちしかこの話にはないということへの違和感だった。

 

叩きまくって無理やり行かせた事

子供を叩くのは虐待だ。

と世論ではなっているが、我が家では当たり前のように叩かれた記憶がある。

別にそれを自分的には虐待とは思っていなかったし

ニュースなんかで見る児童虐待とはかけ離れているので気にもしていなかった。

 

だけど、この話を何度も聞くうちに

そもそも「2人で小学生を叩きまくって、無理やり行かせる」という部分に疑問が生じたのだ。

 

叩くと言っても、ビンタ程度なんだろうとは思うのだが

それでも、嫌がる子供の理由もそんなに聞かずに

痛みで行動させようという祖母と母親に対してはものすごく違和感を覚える。

 

この話を武勇伝的な感じで楽しそうに語る事

最後の違和感は

この話を気に入っているのか、叩いた本人たちが何度も楽しそうに話す事だ。

 

子供を叩いてしまったことなんて

どちらかというと言いたくないことだし、子供が忘れてくれてるなら

あの過ちを自ら掘り起こそうとは思わないはずなのだ。

 

それなのに、叩いた本人たちは

それを楽しい思い出のように話している。

きっと2人だけの時にはその話はしていないので

私がいかに「へそ曲がりの大変な子供だったか」を伝えているのかもしれないが

毎回聞くたびにこのような違和感を感じずにはいられないのだ。

 

確かに、いい話

合唱コンクールでピアノをうまく弾いていたり

成績がとても良かった話なんかもしてはいるので

ただの昔話のつもりなんだろうか。

 

はたまた、こんな大変な時があったけれども

今はいうこと聞いてくれてありがとうね〜という感じで

今も自分たちに従って欲しいのかは知らないが・・・

 

(トイレに「いつも清潔にご使用いただきありがとうございます」ってあるのと同じ感じ?w) 

家族が決めたルールや意見に反発できなかった 

我が家はごく一般的な家庭だったように思う。

いや、周りの友人よりはかなりルールは厳しかったのだが・・・。

 

高校生でも、門限は17時とか。笑

とんでもなく窮屈だったのだけれど

貧困ではなかったので、不幸せではなかったと思っていた。

 

今思うと、相当きつかったし

窮屈な思いが多かった。高校生くらいにもなると

夕食をファミレスでみんなで食べたり、ゲームセンターでプリクラを撮ったり(時代感じるねw)

そういうことをしていると大体20時くらいになるだろう。

 

17時って大体ファミレス入って30分くらいで帰る感じじゃないと間に合わないのだ。

途中で抜けるのは本当に大変だ。

だから遊ぶこと自体を断った日も多かった。

それでガリ勉。なんて呼ばれることは避けたい!!

 

だから割と見た目は派手にしてて

ルールを守りながら周りともうまく調和するために

当時は相当気を遣っていたんだろうな・・・。

 

彼氏が出来ても、彼氏と遊んでる最中に電話で安否確認はしょっちゅうあったし

門限がすぎると鬼電がかかってきたものだ。

 

門限を破って怒られるのが怖くて

そのルールに従うしかなかった。

罰や痛みで動かすと自分で考えられなくなる

元来、真面目な性格なので(自分で言っちゃうw)

基本的にはルールを無視してやろう!!なんていうことはなかったのだが

とても窮屈で、それに対して疑問を感じてからは反発することが多くなった。

 

「〜をしなければならない」といわれて

それに対して、不服を言ったり嫌だ!というと

「じゃあ、今度あれを買ってあげない!」と言われたり、ビンタをくらったりするしかなかった。

 

それは困るので反発はするんだけど

結局は従うしかなかったし、怒られるとますます居心地が悪くなるので無理やり自分を納得させながら生活していた。

 

家族は「なんで嫌だと思うのか」というもう一歩深いところまで聞いてくれたことは

ほとんど1度もなかったように思うのだ。

 

しっかり育ててもらったし

特別に何か苦労したことはなかったのでもちろん感謝している。

 

だけど、家族が言っていた「〜しなければならない」というルールに

今でも引っ張られてしまうところがあるのも事実。

 

就職し家族に縛られていたことを知った

就職して、初めて一人暮らしをしてからがとんでもなく自由で

会社は激務で毎日数時間の睡眠時間しか家に帰ってなかったのだが

とても開放的だったのはこの無駄なルールが減り、自分の気持ちをメインに考えるようになったからだと思う。

 

実際、実家で暮らしている時は

そうしないと怒られる、損害がある。なんて考えて守っていたから

気持ちで動いているというよりは、ルールを守ることがになってしまっていた。

 

ただその開放感と同時に

自分が何をしたいのか。と問われると全くわからなくなり軽くパニックになったのだ。

 

会社から与えられた仕事やルールは遵守するが

ルールと言っても最低限なものしかなく

突然今まで家族に与えられていたような行動制限が一気になくなり自分で考えることを求められた。

 

夕食に何を食べようか。

夜の時間に何をしようか。

 

全てが自由でとんでもなく視野が広がった。

今まで、どうして無意味なルールに縛られていたんだろうと思ったし

狭い世界で生きていたなと実感した。

 

それが私の両親にとったら「箱入り娘」のように可愛がっていた

という脳内変換に置き換わっているし

実際安全には暮らしていたので、その事実を全部否定することはしないが

子供の気持ちには寄り添っていなかったように思う。

 

子供も一人の人間で気持ちに寄り添える親になりたい

子供を見ていると

確かに不安で、「まだしっかり考えられていないから、守ってあげなきゃ」

という心理が働くのは事実。

 

きっと私の親もそういう気持ちでルールを作ったり

罰を与えながらでもそれに従わせていたのだと思う。

 

だけど、子供自身にも色々と気持ちや考えてることはあるし

それを優先してみて失敗した時に

「あ、この場合はルールに従った方がうまくいくんだ!」と自分で気づいてルールを従うようになるのが一番理想的だ。

 

叩いたり、罰を与えると確かに

簡単にいうことを聞いてくれるのかもしれないが

窮屈に感じることが絶対にたくさん出てくるし

耐えられなくなると異常に家族やルールに反発することになるだろう。

 

もちろん、そんなふうに上手くいくはずがないんだけれど

私は、そういう風に子供たちと向き合っていくことを心がけながら

子育てをしていきたいと今は思っています。笑

 

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