不完全なぷんぷんのブログ

何事も中途半端で飽き性なぷんぷんの、等身大のブログ。

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自分以外はみんな他人〜相手とうまく価値観を合わせる〜

人を変えることは難しいしできない

今日はとても大変な1日だった。体力というよりメンタルが。

相手とうまく価値観を合わせる

 

人って、物理的に疲れるよりも

メンタル的に疲れる方が圧倒的に、疲労感あるしどう対応していいやら分からない。

 

さて、表題についてなのですが・・・

自分以外はみんな他人なんだよなって感じることがアラサーになってから特に増えた気がする。

 

例えば、これは「いいことだ」とかそういうざっくりとしたボーダーラインは人によって完全に違う。

 

そんなことするよりも、どう考えても絶対こっちの方がいいのにー!と私が思うことでさえ違うと感じる人ももちろんいるだろうし

もっというと、結婚した旦那でさえまだまだ価値観がわからないとか触れ合わない部分は多い。

 

ただ、大人になるとみんな節度を持って周りと接することが増えるので

私生活でそういう揉め事に遭遇する機会が減る。

 

これは良くも悪くもだと思うのだが
年齢が上がっていくと、後輩ばかりに囲まれる機会が増えて

気づけば裸の王様のように見当違いの発言をしちゃってたり

最悪の場合は、それがセクハラと言われたりパワハラと言われたりするのではという不安をふと感じた。

 

最近、世の中では、多様性を大事にしようという流れが強く

それ自体には大賛成なのだが

大事にすることと、議論しないことは別であると感じる事が多い。

 

例えば、ポリアモリー

ポリアモリーは、関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つことまたは持ちたいと願うことを指す。 ポリアモリーは「同意に基づく、倫理的で、かつ責任を持つノン・モノガミー」であるとされる。ーWikipedia

という考えがあるようで・・・。

なかなか私にとっては理解し難いものであるのですが、それを述べた時に

「多様性なんだから、批判するのは違うと思う!」というような反発を受けたのだ。

 

確かに、多様性を認めない社会は古臭いし好きではないのだが

議論もできないとなると、もはや多様性がその他の多様性をどんどん壊しているようにさえ感じる。

 

会社においても、多様性を大事にするあまり

ルールが曖昧になってしまったり、成果の出ない仕事を永遠とこなす輩を最近目にするようになった。

 

大事なのは、自分自身が納得できないことにぶつかったときに

きちんと、議論をしたり発言できる状態であることなのではないか。

 

それは、ポリアモリーなのでしょうがない!!!なんて言われると

もうそこで議論が生まれることもない代わりに、理解されることもない。

 

どーせ、不倫や浮気なんかを肯定してるんでしょ!!!というような誤った認識を持つ人も多いのでは。

 

その多様性について認識して欲しい、認めて欲しいというのなら
せめてもの議論だけでもして欲しいものだ。

 

もっと議論していいし、したほうがいい。

 

 

自分の中での正義はどのような形であれば周りに受け入れられるか

私自身が他人と今後うまく付き合っていく上では

お互いの利害関係が一致する部分を見つけながら価値観の違いも認め合って暮らして行きたいものだ。

 

子供にスマホばかり見せてるお母さんに

スマホばかり見せて育児するなんてよくないよね」

とあるカフェでバイトしている友人が言っていた。

 

たしかにスマホ育児はいい印象はないのだが

カフェである程度子供を静かにさせようとしたところ、お母さん的にはそれが最善としてやっていたのかもしれない。

 

よくないと感じるのならば、

極端な話、絵本を置いたり、塗り絵を設置したらスマホじゃなくそっち使うのでは?

 

他人の領域でこうやってほしい、と意見を言うのは自由だが

本当に変えたい意思があるのなら、自分が介入できる隙間を見つけて

自分と相手の利害関係が一致することからやってみよう