不完全なぷんぷんのブログ

何事も中途半端で飽き性なぷんぷんの、等身大のブログ。

是非是非(*´Д`)⇒

仕事って嫌なこと?会社を辞める時が来たのかもしれない

会社を辞める時が来たのかもしれない。仕事は嫌な事か?

仕事は、誰かがやりたくないことを

お金をもらう代わりに誰かがやるからこそ成立している。

 

みんなに大人気の職業は意外に給料が低いのはこの仕組みなんだと思っていた。

 

今でこそ、声高に「好きを仕事に!」なんて言われているけれど

ぷんぷんは仕事を好きになろうとは今まで一度も思ったことがなかった。

 

逆に、偉い人(お金をめちゃめちゃもらえたり、社長)になったりしたら

どうせやるにしても、自由度が高いし

嫌な仕事は誰かに押し付けられるかもしれないから

そうなるために、努力する!頑張りたい!!!

 

なんて思っていた。

 

でも結局、もがきながら半年間過ごしてみた結果

まだまだ、偉い人には程遠いし、実際に窓際族であるし

これはそろそろ潮時かなと感じた今日この頃。

 

自分自身は、仕事がめちゃめちゃにできるタイプではないものの

別に、ノルマの達成や、勤勉な姿勢が強みだと考えていたのだが

時短勤務になってからはもっぱら、ノルマのない

事務作業がメインになってしまい、出世コースからは完全に外れていると自覚している。

 

別に、自己責任で子供を授かったわけだし

今時短勤務をしているわけではあるが

やっぱり新卒から、気持ちのこもった会社で

出世コース以外で働くのはとても葛藤があったのだ。

 

まだ、転職エージェントに登録したわけでもないので

この気持ちは夫にひっそり伝えるくらいで

会社には特に何かいう訳ではないが

少しずつフェードアウトしていこうと考えているのである。

 

好きを仕事に!とか

どうせやるなら全力に!!!って言葉は

嫌いじゃあなくて、どうせ同じ時間かけてやるなら成果は多い方がいいし

バリバリ働く方がやっぱりかっこいいし

仕事ができる人間に憧れている気持ちは嘘ではない。

 

でも、だからこそ

身近でバリバリやっている人がいたり

自分が歩めなかったコースを歩んでいる人を見ると歯痒いし

後悔ではないけれど、なんだか物悲しい気持ちになってしまうのだ。

 

実は、ここ1週間「仕事に行きたくない」という感情を常に抱いている。

 

特別嫌な出来事があった訳でも

激務でもないんだけれど

「求められていない、自分」をしっかりと認識してしまって

会社に行きたくないな。という気持ちになっている。

 

ランチ何食べようか

週末になったらどうしようか

 

そんなことを考えながら過ごしている自分にも嫌気がさして

全て一旦リセットしてやり直したい!

 

なんて、都合の良いことを考えながら

転職・退職・専業主婦

 

みたいな、どれも今まで選んでこなかった選択肢が

逃げ道としてどんどん頭の中を占領していく。

 

転職をした友人に

なぜやめたのか聞くと、人間関係でと答える人は多いものの

何か嫌がらせをされたとか

厳しすぎたとか

そういうのではなくて

「この環境でいてもなんとなく良くないな」と気付いたから。という人が多いのもうなづける。

 

ただ、私はもうアラサーである。

 

うかうかしている暇はないので

どうせ出世できないのであれば

ある程度大きな会社の、みんな仕事が嫌だなと思っている環境で働く方が

都合がいいのではないか。

 

キラキラした人と働くのに疲れた

アラサーOLのぼやきであった。

 

とりあえず、まだ水曜日。

 

あと2日はこんな不安定なメンタルで乗り越えるとするか。

時短やリモートで働きたいママさんに!理想の職場をご紹介!【ママキャリ】

タトゥーを友人が入れた、ちょっと不安になった

tatoo


タトゥーに対する偏見を無くそう!

おしゃれだし、かわいいよね!

 

たまに、怖い人でタトゥー入れている人がいるけれど

今では全然普通の人も入れてるよ!

 

 

なんて巷では声高に叫ばれているようですが

先日友人がタトゥーを入れた。

 

そして、私はちょっと不安になった。

別に、タトゥーを入れたからといって

今までの友人に違いないし、接する態度もそんなに変わっていない。(はず)

なのだが、大多数の人がしない行動をする人に対して

若干の不安というか、怖さがあるのだ。

 

それは、意思疎通ができないという恐怖にちょっと似ていた。

 

昔から、動物が結構苦手であった。

そもそも、大きかったり吠えられたり、牙があったり

見た目的にもちょっと怖いなと感じることはあるのだが

私が一番感じていたのは「必死で説明しても伝わらないんだろうなあ」ということ。

 

犬とかだと、人間の感覚を理解できるなんて

よくいうし、そうなんだろうと思うのだけれど

実際、大きい犬とかなら運が悪ければ腕とか食いちぎられるかも。

 

みたいな、変な警戒心を抱いてしまう。

 

動物が好きな方からすると

「何言ってんだこいつ」と思われるかもしれないが

日本語で必死にその時になって説得しても

理解されなければ終わり。という恐怖がある。

 

人間でも、荒れ狂って人を暴行することもあるけれど

それでも話をすれば一応はその言葉を理解するという

道筋があるので、コミュ力とやらでいろいろ乗り切ってきた私からすると

そっちに安心感を感じるのかもしれない。笑

 

そしてタトゥーを入れた友人に対しても

若干、そういうどうやっても伝わらないのかもしれない。

という漠然とした不安みたいなものを抱いてしまったのであった。

 

ミニーちゃんのタトゥーを入れていたけれど

なぜそれにしたのか「可愛かったから」以外の答えはなかった。

 

そして、これからもちょこちょこ増やしていく予定だという。

 

人の身体に何をしようと別に何もいう権利はないのだが

正直、全く理解できなかった。

同じ日本語で、なんならいつも話していた相手が

全然理解できないことを言っている。

 

これはもしかしたら、どれだけ会話をしても

全然理解し合えないんだろうな。と察した。

 

痛みを伴う行為で尚且つあまり周りはしていない行為であり、

ホットペッパーで調べられるわけではなく

お店自体もどこにあるの?って感じのマンションの一室とかで

タトゥーを入れよう!と考えること自体が私からすると異次元だった。

 

実際に見せてもらったタトゥーは

確かに可愛くて、思い切って自分がしたいことをしている友人は

とても満足そうであった。

 

ただそれと同時に、ちょっとだけ心の距離を感じて

寂しくなったし

友人に何かきっかけがあったのかと

自分の知らない一面を知って不安を感じたのであった。

香りや気温は記憶に残る

香りや気温は記憶に残る

ジメジメしたこの季節になってくると

一人暮らしをし始めてからはなんの迷いもなく冷房をつけるようになった。

 

冷房の効いた部屋で、ゴロリと寝転がっていると

子供の頃、実家で過ごした記憶が思い起こされる。

 

将来はどんな大人になるんだろう。なんて考えながら

ちょっとカビっぽい匂いを嗅ぎながら寝転んでいた日々。

 

お気に入りのクッションに顔を埋めながら声を押し殺して泣いた日々。

 

もうあの頃の自分がなんであんなに泣いていたかは覚えていない。

でも、間違いなく苦しい時間もたくさんあったし

旅行に行く前日のようなワクワクした日々もたくさんあった。

 

少しずつ断片的に思い返して、最近は懐かしいなと思っているけれど

自分の子供たちがそういう経験をこれからしていくとなると

がんばれ!!と応援したくなるような、ちょっと不安なようなそんな気持ちになる。

 

我が家は、かなり母親が節約家で

なかなか、冷房をつけてくれなかった。

 

暑い日でも、扇風機で凌げばいいだろう。そんな考えの人で

何度冷房をつけてくれと頼んでもなかなかつけてもらえる機会がなかった。

 

だから、来客があったり

たまに母親も暑くてたまらない日なんかは冷房をつけてくれた。

 

冷房をつけると、ちょっとだけ埃っぽいような匂いとともに

スゥ〜っと、冷たい空気が流れて

とても心地よかった。

 

リビングのみ冷房をつけてくれるのだけれど

そこでテレビを見ながらくつろぐのは本当に最高だった。

 

別になんてことないただの冷房だけれど

今でも、冷房をつけてゴロンと横になったりすると

なんだかその時の感覚を思い出して

その当時考えていたことが記憶として蘇ってくるのだ。

 

いちごの香りのシャンプーとリンスを買ってもらったこと

次の日、それで髪を洗っていくだけなんだけど

とてもワクワクして、ちょっとイメチェンしたような気分になったこと。

 

まきまきタオル(バスタオルにゴムが入っていて、ボタンで止められるタイプ)をみんな持っている中、私は持っていなくて

おねだりを何度もして、ようやく買ってもらってそれを持ってプールへ行ったこと。

 

その当時はやっていた、ポーチのような超大きい筆箱を買ってもらったこと。

 

ハリーポッターの映画をナイトショーで見に行った時のワクワク。

 

旅行にみんなで出かけて、帰り大声で歌いながら

窓を全開に開けて風を浴びながら帰ってきたこと。

 

もちろん、超絶怒られることもあったし

嫌なことも多くあった。

今でも実家に帰ると険悪なムードになるから離れているくらいがちょうどいいのだろうなと思う。

 

我が家は、友人の家に比べると

なんでも物を買ってもらえるような家ではなかった。

だから、こっそりおばあちゃんのためている500円貯金箱から拝借して

文房具を買いに行ったりしたなあ・・・。

 

文房具が何より大好きで

サンリオのお店に通っては、色々な文房具を集めていた。

 

工作も好きだったから

ワクワクさんなんかを見ながら、実際に同じおもちゃを作ったり

 

自転車で友達と爆走して遠い街まで来てしまって

公衆電話から電話して迎えに来てもらったり・・・。

 

なぜか、冷房の空間にいると

夏の頃に経験したことがどんどん思い出される。

 

香りや気温など体験したものはやはり記憶に残りやすい。

 

あとは、やっぱり自由に冷房使える方が絶対に快適だし幸せなんだけど

冷房つけるだけで、どんどん思い出が蘇ってきたりするのは

やっぱり当時はものすごく、冷房を望んでいたんだなとも思い出される。笑

 

皆様には何かそういう記憶のトリガーになるものはありますか?

若者なら深夜バスのススメ〜より快適に過ごすために〜

若者なら深夜バスのススメ

深夜バスってコスパ最強じゃないですか??

 

今でこそ子供が産まれて

なかなか深夜バスを利用するタイミングも無くなりましたが

また子供達が大きくなったら利用したいなと思ってます。

 

そんな、元々コスパのいい深夜バスをより快適にする方法をご紹介!

 

 

乗るときはコンタクトレンズを外す

かなり初級編ですが、バス内はかなり乾燥しています。

コンタクトレンズをつけたまま乗ると

コンタクトがゴロゴロしたり、翌日のコンディションが悪くなるので

多少面倒ですが眼鏡で、コンタクトレンズは手荷物に入れておきましょう。

 

飲み物はお茶か水がおすすめ

甘党のぷんぷんは

割とジュースとかが大好きで、甘い紅茶なんかを持ち込んでたのですが

サービスエリアに停まる間隔と歯磨きや寝付く感覚が合わないと口の中がネバネバした状態になるので

夜行バスでは、お茶か水をおすすめしたい。

 

そして、どんなにいいシートに座っても

ベッドよりはやや、顔が下を向く体制になりやすいので

甘いジュースなんて飲んで眠ったら

ヨダレでベタベタになります。笑

 

【女性必見】洗顔は目的地の一歩手前のサービスエリアで

目的地に着くと当たり前ですが

洗面所はすぐありません。

 

またあったとしても、ビル内のトイレなどで

汚かったり

洗面台の数が少なかったりでゆっくり洗顔なんかはできません。

 

停車時間は15分とか20分とってくれているバスも多いので

サービスエリアなんかの誰も何も気にしてないような洗面台で

洗顔や、化粧水、ベースメイクくらいまでできると、目的地についてから慌てないですよ。

お湯も出たりするところが多いんですよね。

 

究極の乗り心地を体感したければ、疲労困憊の時に!

1度だけ、夜行バスに乗った瞬間に寝て

起きたら、もう目的地だったことがある。

 

1度もピクリとも起きることもなく

揺れを感じることなく眠り続けていたのだが

前日にオールで仕事をこなした後乗り込んだバスが最高であった。

 

ホテルで寝ていても、その場から動くことはできない。

その点、疲労困憊の時のバスは目的地にも向かってくれるし

眠ることもできる。

 

そして、寝過ごすことはないという最強の乗り物であった。

 

ぜひ、皆様も疲労困憊の時に乗って欲しい。

どこでもドアでも使ったかのように、起きると目的地についている快感を感じてみるのだ!笑

 

1000円くらい高めのバスに乗るべし

おそらく夜行バスユーザーであれば気になるのはお金。

 

夜行バスってほんとに3000円とかで乗れたりするから

コスパは元々最強なのであるが

もしゆとりがあるのなら、プラス1000円くらいのバスをチョイスすると良い。

 

個人的な感覚なのだが、プラス1000円くらいすると

客層が安定する。

 

変な人や、切羽詰まっている人が減る分

快適に過ごせる割合が多くなるように感じるのだ。

 

また、そもそもシートの質や、サービスの質

時間の都合がいいバスが多いので

ぜひ、比較サイトなどで注目してほしい。

 

4列シートから3列シートになったりもするのでその差は計り知れない。笑

 

 まだ乗ったことのない方はコロナ明けにぜひ!

 私はさくらバスなんかをよく利用していたのですが

一度乗ってみて、自分は夜行バスに乗っていてもそれほど苦じゃない

むしろサービスエリア各地に寄れて楽しい!

 

みたいな人には乗らない理由がないですな!笑

「好き」を仕事にしても結局大事なのは周りの人間

好きを仕事にしても大事なのは人間関係

昨日、初めて自分がやっていた仕事を

同僚が自分の名前に担当者名をしれっと変えていたのをみた。

 

恐怖を感じたと共に、初めて仕事の成果を横取りされたのをみて

とてつもなくやる気が喪失してしまった。

 

やはり仕事を辞めたい理由というのは人間関係に付随するものなのかと感じた。

 

データでは仕事を辞めるきっかけ1位が人間関係によるものだという

確かにどんな仕事をしていたとしても横にいる人間が最低だったら

その仕事が成功する気がしないし、頑張る意味がなくなってしまうという部分で

そりゃそうだ!と思ってしまう。

 

以前から、転職活動はしたいなとほんのり考えていたけれど

ここにきて俄然現実味を帯びてきた。

 

転職活動の個人的には1番の足枷と感じていた

「人間関係悪くなったらどうしよう」問題が

実際、今現在も特に人間関係良くなかった。という現実に直面して

やや戸惑っているのが事実である。笑

 

何が不満というはっきりしたものはないのだけれど

自分的に周りの人間が大事だと考える理由3つを挙げていこうと思う。

 

毎日の楽しさが変わる

もうこれは言わずもがなであるが

周りの人間性によって、日々の仕事時間が楽しいかどうかは大きく変わる。

 

以前、無言なメンバーばかりの部署に配属された時

個人的には会話が好きだったり、ある程度雑談ベースで相談しながら

物事を進めがちな自分としてはとても息苦しくて

黙々と仕事は進むけれど、新しいプロジェクトなんかも立ち上がりにくくて

悶々とした日々を送った。

 

会社に行くことが楽しみではなくなった。

 

ある程度、自分のコミュニケーション能力と似通っているというのが

まずは毎日楽しい、楽だなと感じるポイントではないだろうか。

 

成果を出しやすい環境は人によって作られる

個人的に、能力のないやる気のある人が一番害であると思っている。

結局周りの人間に能力のない人間が多ければ

それだけ自分の生み出したアイデアや仕事の内容が薄まっていくし

何か実行しようとしても、足手まといになる。

 

例えばそういうタイプの人間が上司であった場合

他の仕事をとってくることもできずに、数字による可視化も行われず

部署のまとまりも悪くなってしまう。

成果が目に見えにくいので、メンバーたちもやる気が下がったり

本当に自分の評価につながるのかということに不安を感じる。

結局は、能力のあるないに関わらず成果を出しづらい環境が誕生してしまう。

 

今回の私の身に起こった出来事は

全てこういう組織の中で担当を振り分けてもらえず

無法地帯と化していることで、別担当が同様のプロジェクトを実行段階に入った瞬間にコピーして立ち上げた感を出してきたことが発端になっている。

 

実行段階に入るまでが基本的には他部署とのやりとりや

既存のルールとの兼ね合いを考える等で一番エネルギーを使うことが多く

実行段階に入ってからは、それがプラン通りに進んでいるのか確認して

問題があった場合のみ対応策を考えていけばいいのだ。

 

これは愚痴になるが、彼の場合だとそういうイレギュラーがあった場合にも

放置をして、このプロジェクト自体潰れてしまうであろうことが目に見えている。腹立たしい。笑

 

※本日は怒りのこもった文章になっておりますのでいつもよりもさらに読みにくいかもしれません。

 

意識していないと人間は周りの平均点になる

いじめのターゲットになりやすいのは

そのクラスの平均から一番離れているところにいる人であることが多いという。

 

人間は集団に入ると

ある程度その集団の雰囲気や感覚を読み取って、その集団に馴染もうとする。

 

結局は、今の環境の周りの雰囲気に最初は違和感を感じたとしても

自分も自分もそこに寄っていってしまうというのだ。

 

個人的にはそれが一番怖い。

よく就活生とかでこの会社に入ったのは風通しがよく切磋琢磨できると思ったからです!

みたいにいう人いるんだけれど

この切磋琢磨がしっかりできる環境かどうかは非常に重要である。

 

切磋琢磨できるということは

ある程度全体として向上心があって

少しずつ集団の平均を上げていけるポテンシャルがあるということなのだ。

 

そういう個々が集まった集団に属していたい私にとっては

転職という手段で場所を変えて「しっくりくる場所」を探すしかないのか。

 

最後に

周りの人間が大事と一言で言っても

「前は頑張っていたのに、今はとてつもなく気が抜けてる人」

や、逆に「今までは全然片鱗がなかったが、今は仕事ができる人」

なんていう人がいたりもするので

その見極めが大事だったりするし、そんなのわからないことが多い。笑

 

転職すると今より悪い環境になるかもしれない!

と不安感をとても感じていたけれど

別にどこにいってもそのタイミングの人間関係次第!と逆に楽観的になれた。

 

そのタイミングの人間関係次第!ならば給料や働き方が変わらなければ

どこにいっても一度リセットするだけなので

意外に気軽に転職活動をしてみたいなと感じる今日この頃。

 

転職しました!と記事にする日も近いか〜もね!笑

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アラサー女が説く【かっこいい人とそうではない人の境目】

かっこいい大人とそうじゃない人の境目

皆さんの思うかっこいい人ってどんな人ですか?

ぷんぷんは日々、どうすればかっこいい大人になることができるのかを

考えているのですが・・・

 

かっこいい大人とそうではない大人の境目が

なんとなく、わかってきたのでまとめておこうと思う。

 

自分自身に目を向けられていること

まず、かっこいい大人たちに共通して言えるのが

謙虚すぎず、傲慢すぎずというスタンスである。

 

あとは、他責することもほとんどないし

不幸も幸運もあるけれども、全てをフラットに受け入れて

よりよく、しなやかな努力をしている人が多い。

 

かっこよくない大人で、アラサーになってもなお

「自分の親が〜で」とか「大学時代の友人が、起業して〜」と他人を主語にして自分の位置を測りながら話すタイプが多く見受けられるのに対して

かっこいい人は、主語が自分でありながらも

自己顕示欲というよりは、雑談として周りと調和しながら会話している傾向にある。

 

人からどうみられているかとか、周りと比べてどうだとか

そういうことよりも、自分の考えや今までの経験にしっかり向き合ってきたということが伺えるのだ。

 

何事にもチャレンジングで失敗を悪としない

私が考える「かっこいい大人像」は、チャレンジングであることが多い。

失敗を恐れて挑戦しない人が多い中で

失敗をしても、「ははは、失敗しちゃった。」と軽く笑いながら

何度も挑戦して、最終的にはそれなりに出来るようになっている。

 

失敗をすることが、成長過程ということがわかっているので

失敗した時に、大きく凹むこともないし

他人が失敗した時にも、それを悪とせずに、次やってみよ!と前向きな言葉をかけてくれるものだ。

失敗を恐れているかどうかも、かっこいい大人とそうではない大人の境目である。

 

多様性を受け入れつつも、自身の見解を述べられる

このバランスが取れている人を見ると、いつも

「かっこいいなあ〜」と感心してしまうのだが

 

今の世の中、多様性が声高に叫ばれているので

逆に、自分の意見を言うだけで

「あの人は視野が狭い」「多様性が認められない小さい人だ」と批判されかねない。

 

だから、アラサーにもなってくると

自分の普通とはずれていることを発見しても

「あ〜それね。そういう多様性もあるよね。人それぞれでいいと思うよ。」

と本心では「え???!そうなの?ちょっと変じゃない?」なんて

思っていたとしても、口に出さない方が得であることも多い。

 

でも、そんな中

するりと「えーー!昔じゃ考えられなかったな!それは〇〇という点ではいいと思うんだけど、君の周りでは多いの?」

なんて、自分の中の価値観とは違うけど

もっと詳しく教えてよ!みたいな感じで思ったことを口に出しつつも

相手の意見を聞こうとする姿勢を見せたりする。

 

これは、相手を信頼していないとまず出来ないし

自分の意見として咄嗟にうまく口にできないと、変な雰囲気になってしまう。

 

否定的な意見を伝える時ほど

かっこよさが問われるし、触らぬ神に祟りなし。的な振る舞いは

無難であるが、かっこ良くはないのだ。

 

何か一生懸命なことがあるか

最後に、これがないと

あ〜やっぱりこの人はかっこいいわ。となるポイントとして

何か譲れない、これだけは一生懸命やるんだ!と覚悟を持ってやっていることがある人は何がどう転んでもかっこいい。

 

それは別に、趣味でもいいし、家族でもいいしなんだっていいのだけれど

自分はこれを大切にしているし、これからも守っていきたい。

 

と思う何かがあるかないかで、人としての軸がぶれやすいかどうかが決まっていると感じる。

 

色々なことに、努力して真剣に取り組んでいる人はもちろん素敵であるが

なんの意味もない、非効率に見えることでも

それを一生懸命やるんだ!とやっている人も

なんともいえない人間としての魅力があるように感じてしまう。

 

最後に

私は絶対にかっこいい大人になりたいし

なってみせると思って生きてきた。

 

かっこいい大人になりたいということに一生懸命なのが

かっこいい大人かどうかはさておき。笑

 

こういう行動がかっこいいな、とか

逆にこの行動は、自分の美的感覚には合わないな。とか

そういう事柄をどんどん蓄積させていきながら

他人と自分を比較するのではなく

自分が理想とする大人像に近づいていきたいし、最終的にはかっこいいなと思われるような歳の重ね方をしたいのだ。

 

アラサーは人間の平均寿命でいうところの

まだまだ前半真っ只中ではあるものの

これから先をどう生きていきたいか考える時間は大変有意義である。

【30歳の誕生日】に贈る自分へのプレゼント案

どうも、アラサーぷんぷんです。

アラサーって、アラウンドサーティーなんだけどさ

30歳超えて以降使うのがなんか年を誤魔化している感じに思われると嫌なので

アラサーという言葉を使うのが最後のつもりで使い倒しております。

30歳の誕生日に自分へ贈りたいプレゼント

30歳の自分へのプレゼントをどうするか問題

さて、本題ですが30歳の誕生日ってかなり節目だと思うんです。

20歳の時は成人式をしたし、30歳の誕生日は個人的に女性としてかなりこの10年ステップアップ?状況が変わった自分自身に何かプレゼントしたいなと考えている。

 

独身の友人なんかは50万円くらいのものを・・・

と言っていたのですが、私は10万〜30万円くらいのもので考えています。(それでも高いw)

 

一生の思い出となるものを・・・と考えていたのですが

10年間酷使できるような丈夫なブランドバッグなんかでいいかなと。

 

結局多分、一生使えるものってなると

金やダイヤモンドみたいな無難なアイテムになってしまうし

それじゃあ、30歳というまだまだ人生これから挑戦という心意気にはマッチしないなと

個人的に思ったので

 

消耗品ではあるけれど10年は酷使して

今の自分よりはちょっとだけ背伸びしたバッグなんかを買いたいなと考えている。

 

候補の3種類

  • セリーヌ・・・単純に使いやすそうなのと、形的には今の自分にはちょっと背伸び感があってこの10年できちんと似合う女になりたいなという意気込み

 

  • LOEWEロエベ)・・・ロエベのバッグといえば・・・というちょっと奇抜なおしゃれな形のバッグが気になる。今までは選ばなかったタイプのバッグ

 

  • BOTTEGA VENETA(ボッテガ)・・・新卒時代に一度名刺入れを買いに入って、あまりの値段の高さにポールスミスに逃げてしまった思い出から、再チャレンジしてみたいという考え

どれも超高級で、もしかしたら30万円は超えるかもしれないが・・・

そこは直感に任せて選ぶとして・・・

 

それぞれに、良さそうなポイントも、意気込みもあるので
サイトやインスタグラムを徘徊して吟味するとしよう。笑

どういう形や色のバッグにするか

これは2パターン考えているのだが

パターン1:定番のカチッとした四角い形

ラフすぎる格好にはなかなか似合わないようなカチッとした四角い形は

結構、今の自分的にはハードルが高い。

しかし、街中でそういうバッグにジーンズを履いても

なぜかきちんと感も、ぬけ感もあるお姉様方を見かけるたびに

ああいう着こなしをしたいな〜と思ってしまうのだ。

 

黒色か、キャメル色のカチッとした四角い形のバッグが第一候補。

 

パターン2:ちょっと変わった形のバッグ

LOEWEなんかはまさにそうなのだが

巾着のような形状になった変わった形のバッグを、普段使いで持てたら

とてもかっこいいなと思うのだ。

 

こういうバッグだと、カチッとした服装でも

バッグで抜け感を出すこともできるし、ジーンズなどのカジュアルな服装にも

結構合うので、意外にもポシェットやトートのような形よりも

使い勝手が逆にいいと想像できる。

 

最後に:20歳からの10年経った感想

信じられない!

10年ってもっともっと長いと思っていたし

0歳から10歳までって成長しっぱなしで、とてつもなく長かった記憶があるのだが

(記憶があるのは5歳くらいからだが。笑)

20歳からの30歳はスピード感も早いし

成長したなと思う部分と、あまり変わっていないなと思う部分が混在している。

 

10年も経ったら、何もしていなくても

色々変わっていくのだろうと思っていたけれど

20歳以降の10年は本当に何もしていなければ衰えていくこともあるだろうし

うかうかしていると、ふと考えた時にはアラフォーになっていそうである。

 

これから30歳を迎えるにあたって楽しみなこと

占いに行くたびに、あなたは若い頃は自分の内面と外見で苦労をしているから

これからどんどん楽になってくるよ。

なんてよく言われていたのだけれど、アラサーでなおかつ結婚して子供を産んだことで

恋愛市場から遠ざかって少し楽になった部分は多い。

 

性的な目で、好きでもない人から見られるのも嫌だったし

若いから生意気だなんて言われて、何度も営業時代腹を立てていたものだ。

 

そんな私が、若さと引き換えに手に入れつつあるのは

自分の人生を自分らしく生きよう!という覚悟にも近い感情である。

 

そういう意味では、30歳になって

女である私、というよりも前にぷんぷんとして、自分の人生をどう生きていくかを考えられるのがとてもワクワクする。

 

女の子なんだから〜しなきゃ。

結婚前の子が〜するなんて、はしたない。

 

そんな言葉をぶっ飛ばして生きていきたい。

 

もういい歳なんだから〜しなさいよ。なんて言われることもあるかもしれないけれど。笑

 

ただ、いつまでも心だけは若々しく

若者に対しても卑屈にならないように仲良く過ごしていける、そんな三十路になりたいものですね。

 

皆さんもぜひ、節目の誕生日や自分に何かプレゼントする機会があれば

この先どうなりたいかを想像して、今の自分にはちょっと背伸びかもしれないけれど

ゆくゆくはこれが似合う人になりたいから!なんて理由で買うものを決めてみるのも楽しいですよ。

【アラサーの考察】ザ・ノンフィクション~塙山キャバレー物語~

ザ・ノンフィクションの塙山キャバレー物語を見てアラサーが思ったこと

ザ・ノンフィクションって最近は欠かさず見ているのですが

日曜の昼にダラダラしていると、ふと始まる壮絶な番組。

 

結構、後味がいいものだけではなく

見ていて、胸が苦しくなるような回も多いのですが

日曜に「あー明日も仕事しんどいな」みたいな時に見ると

頑張らないとな。人生みんな頑張ってるな。

みたいに、思わせてくれる番組ですよね。

 

そして、先週は2週にわたって

塙山キャバレー物語であった。

 

そこに出てくる女の人たちは

どこか、田舎の実家の周りにいる人たちにとても雰囲気が似ていて

なぜか引き込まれる雰囲気があった。

壮絶な経験をしてきている人で溢れている

まずは、ノンフィクションはいつも私に

壮絶な体験をどこか遠くの国の知らない人の話ではなく

日本の現実に起こっていることであるという現実を毎週リマインドしてくれるのだ。

 

80とか90歳の人の話を聞く事はあるだろうか。

私の祖母や祖父はまだ健在で

実家に帰るたびに話をしているのだが

ザ・ノンフィクションで出てきた人のように

世の中には壮絶な経験をしてきている人が溢れているのだ。

 

特に戦後の日本を生きてきた世代の話を聞くと

今からは想像もつかないくらい大変だろうなと感じる話が多い。

実際に親が戦争で死んでしまった、なんてそんな話を聞いても全然現実味を帯びていないし、売り飛ばされた。みたいな話を聞いてもどこの国の話だ?なんて

平和ボケしている私なんかはいつも考えていた。

 

もちろん同年代でも

壮絶な過去があり、虐待を受けていたり

苦しみながらも耐え抜いて生きている人がいる。

そんな当たり前のことを毎週思い出させてくれる番組である。

 

兎にも角にも今を生きている

塙山キャバレーの回では

いろいろな事情でそこで飲み屋を開いている人の話から

過去の出来事や、コロナ禍における考え方や苦悩なんかを放映していた。

 

番組の主題歌であるサンサーラが「生きて〜る生きている。」と歌うように

どんなに苦しい状況でも、大変なことが起こっても

とにかく今を生きているんだよな。と

ちょっと絶望にも近い感覚にさせられる。

 

カラオケをしていたり、飲んでいたり

楽しんでいる描写もあるけれど

お客さんがいなかったり、働くことができなくて

その気持ちを紛らわすかのように草むしりをしているような

誰にもどうすることもできない現実がありのままに近い感じで

映っているテレビから目を離すことがいつもできない。

 

「頑張っていれば、いつか必ずなんとかなる!」という

漠然とした気持ちだけで生きているアラサーのぷんぷんにとったら

とても心苦しいのだけれど

それが現実なのだ。

 

覚悟を決めている人はかっこいい

塙山キャバレーの方々は多分、あの場所を離れる事はないのだろうと感じる。

それは、あの場所が良くも悪くも大好きという気持ちと

覚悟のようなものが混じっているように聞こえた。

 

ここで、生き抜いてやるぞ!っていう

覚悟を持って生きている人は

結果がどうであれ、この先何が起こるかはもちろんわからないが

見ている人間に勇気を与えてくれる。

 

とってもかっこいいし

女性であることを誇りに感じられた。

 

「女性って、集団で群れて

悪口を言って盛り上がるよね。」と昔から私はよく耳にした。

その言葉を聞くたびに、自分はそういう女性にならないように

群れたりしないで、自立しよう。

そう思い込んで、学生時代はちょっと孤立したこともあったな。なんて思い出した。

 

女性のことが嫌いなわけではないのだけれど

女性の嫌なところ、みたいに言われる部分は自分自身から排除したいと思って

生きてきた。

 

だけども、覚悟を決めた女性は

どんな大企業の社長よりも、力強く見えたし

何にも負けてたまるもんか!というど根性が見えて本当にかっこよく、多分この先の人生で、私の尺度の一つになると確信した。

 

人を貶すことは簡単だけど、認め合うのはすごく美しい

生活保護を受けている男性が

ビールを飲んでいて、それを見た人が

働いていないのにビールを飲みやがってというような発言をしていた。

 

もっとマイルドに話していたし

最後には、まあ色々な人がいるよねって感じで本気で腹が立っているとは思えなかったけれど

人に対して正論や、こうするべき!っていう理論を持って

批判することは簡単である。

 

でも、その人に対して

「働きたいんだよ。働きたいのに働けないということは本当に惨めな気分になるんだよ」と話をしていて

人の気持ちを汲み取って、発言できることって素敵だな。と素直に思った。

 

その人がすごいなと思ったところはもう一つあって

その生活保護を受けている人が「死んでくれよ、と周りから言われたこともよくある」みたいに泣き言を言い始めようとしたときに

「そういう話は聞きたくないね」と拒否をした場面である。

 

普通、情に弱いというか

人に寄り添うって、そういう泣き言をどんどん聞いてあげたり

自分がサンドバックになって相手の不満の出口になったりそういうことを想像するのだが違ったのだ。

 

「泣き言を言っても、一瞬楽になるだけでまた家に帰って一人になったら今のことを思い出して辛くなるだろう。

解決策のない話を聞いてあげるのではなく楽しい話や次どうするかということに目を向けよう。」

という姿勢が表れているかのように見えて

すごく人間として羨ましいなと感じた。

 

また、塙山キャバレーのママたち同士も

状況は全然違うのだけれど、みんなで認め合って

助け合って生きていこう。という関係性があるように見えて

素敵だな、美しいなと思ったのだった。

 

ノンフィクションは、ここ半年くらいは欠かさず見ているのだが

毎回、いろいろ考えながら人々の顔や言葉に集中してみていると

なんだか自分がとてつもなくちっぽけに思える。

 

世の中にはすごい人も、自分より頑張っている人も

成功している人もたくさんいる。

 

その人たちの生き様を見せてもらって

自分の人生にどう活かせるか。っていうと大袈裟だけれど

そういう気持ちでこれからも見ていきたい。

 

 

子供の体調不良と月曜日

子供の体調不良と月曜日月曜に子供の体調が悪いと少し気まづい。 


朝から息子が鼻水を出していた。

お熱はない、食欲は普通。


しかし、明らかに鼻水が出ている。


こういう時、水曜日なら休んだのになあと思う。

月曜は会社に行きたくない、しかしながら

行かねばその後の大変さが増す日である。

 


朝礼なんかもやはり少しみんな気合が入ってるし

月曜日から週内にやることを精査しておけば

残りの5日のゆとりにつながる。


こういう時、本当に世の中のママたちを10人くらい呼んで

子供を見せて「どうするー??」と相談したい気分になる。


パパに相談をしても

うーん、休ませたら?というだけだし

この仕事と保育園を休ませるという葛藤は休んで子供の面倒をみる人間でないとなかなか伝わらない。


昔はその加減がわからず

保育園へ連れて行って

会社着いた直後に迎えにきてくださいと連絡が入ったり


逆に休んだけれど

元気で、仕事では緊急事態が起こるなど…

 
なかなか難しいなあと思う今日この頃。

 
ただ、私の周りのママ友は

基本的にはずっと休む、子供が可哀想!というタイプが多かったので

仕事に行く私のようなタイプもいるんだよ!とこのブログを通して声を大にして言いたい。

なぜなら、その方が子供にとって幸せなのに

それができない自分(仕事に行こうと判断して無茶してしまう)は

ダメな母親なんだ、、、ってせめて苦しんだことがあるから。


これって離婚問題と似てるなと思うんだけど

(全然違うって?すみません。笑)

 

ただ、私的には同じような心境になる問題で

 
本当はこうしたいという思いがあって

それをよく言えば子供のために
悪く言えば子供のせいにして

その現実から目を背ける感じが、なんとなく似ている。

 

どちらがどうと言うつもりはないのだけれど

自分の選択を子供のせいにして、子供に少しでも負の感情を抱くことが

個人的には一番悪だと考えている。

 

もちろん、子供が体調悪いなら休んであげるべきだし

病児保育に預けていくなんてもってのほか。

 

でも、休んで、あなたのせいで休まないとならなかった。なんて

感情がちょっとでも伝わるならば、そんな悲しい事はない。

 

休むなら、もう開き直って休みたいし

ごめん、今日は仕事に行かせて!と頼んでいくのでもいいと思う。

 

母親になって、ただでさえ自分を責める機会が増えたように感じる。

子供たちにとって何がいいか

旦那にとってこれは良くないのではないか。

 

もちろん、家族との中和を考えることも大切だが

自分自身がどうしたいか。そういう心の声や感情に向き合う時間をあえて取ることは

大切にしていきたい。

 

サービス残業とか勉強会が好きではないって話

皆さんの会社はサービス残業

有志でやるような勉強会や活動ってありますか?

 

サービス残業や勉強会が好きではない

我が社には色々あるのですが

それがホスピタリティとして評価されたり

なかなか意欲的だね!って感じ褒められたりする会社である。

 

それが、社会人になりたてのころの自分には普通だったし

おかしいこととは思っていなかった。

 

ただ、最近は仲が良かった会社の同期も

色々な会社に転職して実は、それが普通ではなかったとあらゆるところで知り

そういうサービス残業とか頑張ってる感を演出するのに

気持ち悪さを感じてきた。

 

先日から見ている海外の働き方なんかを見ていても

ビジネスライクな関わり方を仕事上ではしているのを見て

かっこいいなあ〜と思うと同時に

日本のいいところと悪いところが垣間見えたのだ。

 

良くも悪くも人との境界や仕事の成果が曖昧

結局これが全てなんだけれど海外だと

仕事で成果が出てなければ速攻でクビを言い渡されるという場面をよくみる。

 

一方日本では、ダラダラと働いていても

ミスをしてもなかなかクビになる描写がなく

実際に企業としても一度正社員として採用した人材を退職させる事は難しいのだ。

 

それがサービス残業とか勉強会とかいう

成果以外の部分の評価を大切にする風土を作っているとぷんぷんは考える。

 

評価制度が整っていない

なぜ、そういう成果以外のところで判断したり

それをよしとするのかを考えてみると

評価制度が整っていないということが挙げられる。

 

営業成績のようにわかりやすいものなら

誰でも単純に評価できると思うが

それ以外の、事務作業みたいな仕事には評価をつけるのがなかなか難しい。

 

そういうところの可視化や評価する制度を作ることを放棄して

主体性とか積極性。みたいな曖昧な評価基準を設けているから

組織として「頑張ってます!私!」みたいな人が評価されて

シンプルに仕事だけこなしているタイプが埋もれがちなのである。

 

解決策はシンプル、転職するか無視するか

友人の話を聞くと

割と大きい会社では評価制度は整っているし

そして、昇級する人自体が稀なので

成果として見えた人を評価すればいいだけで

そういうサブタスクで評価を狙う人がいない。

 

だから、自然に有志の勉強会なんかは無くなっていくし

変な会社への帰属意識は低いようだ。

 

だから、そういう会社へ転職するのが実は手っ取り早いように感じる。

 

ぷんぷんも転職はそろそろガッツリ考えているのだが

この会社で、アピールして評価を狙うことを諦めてダラダラするのもいいなと思う。笑

 

基本的に制度が整っていないのを

積極性や主体性みたいなので補っているということは

拒否した時にそれを強制する力もないのだ。

 

給料が出るから、来てくれと頼まれない仕事は

全部断っても、企業としてクビにはできないという位置にいるため

安心感をもって非参加を主張できるのである。

 

実際、周りからの目線は冷たくなるのだが

非参加の人数が増えれば、給料を出してでも研修をしなければという

動きにつながってくるので

より良い会社になっていくのではないか。(潰れてしまうのが先か?)

 

勉強会も当初は有志であったが、今では志はないまま制度だけが残っているのである。

 

そういう気持ちの悪い誰の得にもなっていない制度や

利害関係のない関わりを会社には求めていないのだ。

 

会社は給料をくれるから

我々としては働くし

我々が働いているから

会社は動いている。

 

その関係性に対して、会社から個人の成長は必須であると

プラスアルファの見返りを求めてくる姿勢とは徹底的に戦っていきたい。

 

こんなことを言うととんだ捻くれ者と思われるかもしれないが

結構、有志でお出かけしよう!みたいな会には参加したりしているので

自分の嫌なことだけ、意志を持って不参加にしていきたいと思います。笑

 

同じことで言うと

誕生日プレゼントの、交換を強制するのも嫌なんですよね。
個人から個人に好きな人にだけ渡せばいいのに

集団で集金して渡すやり方はプレゼントも選べないし

金額もみんなで決める事になるし

全然楽しくないのだ。